フェミニストアートにおけるサウンド実践:聴覚空間のジェンダー化への挑戦とその社会影響
序論:視覚優位のアート史における聴覚の不可視性
美術史や批評の多くは視覚芸術を中心に展開されてきました。絵画、彫刻、写真、映像といった視覚的なメディアが主要な研究対象となる一方で、聴覚的な要素やサウンドそのものが持つ芸術的、社会的な意義は、比較的後景に追いやられてきた傾向があります。しかし、アートの実践は常に視覚に限定されるものではなく、パフォーマンス、インスタレーション、ソーシャリー・エンゲージド・アートなど、多様な形式において聴覚的な要素が重要な役割を果たしています。
特にフェミニストアートは、従来の芸術のヒエラルキーや規範に挑戦し、不可視化されてきた領域や視点を積極的に取り上げてきました。ジェンダーの視点から聴覚領域、すなわちサウンドや音楽、声に焦点を当てることは、私たちが日常的に経験する音環境や、それを取り巻く社会的・文化的構造がいかにジェンダー化されているかを明らかにする上で極めて有効なアプローチとなります。本稿では、フェミニストアートにおけるサウンド実践が、いかに聴覚空間におけるジェンダー規範に挑戦し、社会変革に寄与してきたのかを、歴史的な背景と主要な事例、そして批評的な視点から分析します。
サウンド・スケープにおけるジェンダー化とその批判
カナダの作曲家R. マリー・シェーファーが提唱した「サウンド・スケープ」という概念は、音環境を研究する上で重要な枠組みを提供しました。しかし、この概念自体が持つある種の普遍性や、特定の音環境への評価基準には、ジェンダーを含む権力構造の反映が見られる可能性があります。例えば、公共空間における「騒音」や「静けさ」といった概念は、往々にして男性的な空間利用や権力の発話と結びつきやすく、女性やマイノリティの声、あるいは特定の音文化が排除されたり、低く評価されたりすることがあります。
フェミニスト批評は、このサウンド・スケープや音環境の構成そのものが、歴史的、社会的に構築されたジェンダー規範を反映していることを指摘します。特定の音楽ジャンル、発話のトーンや音量、公共空間での歌唱や叫び声に対する反応などが、ジェンダーに基づいて異なる評価や制約を受けることは少なくありません。フェミニストアートは、こうした聴覚空間におけるジェンダー化された構造を意識的に問い直し、それに抵抗する実践を展開してきました。
フェミニストサウンドアートの歴史的展開と主要な実践事例
フェミニストアートにおけるサウンドの実践は、1960年代後半から1970年代にかけてのパフォーマンスアートの隆盛と深く結びついています。身体性と不可分なパフォーマンスにおいて、声やノイズは自己表現、抵抗、あるいは既存の規範に対する挑戦の重要な手段となりました。
初期の例として、オノ・ヨーコの作品群が挙げられます。《Cut Piece》(1964年)のような観客参加型のパフォーマンスにおけるサイレンスと断片的な発話、あるいは《Voice Piece for Soprano》(1961年)における叫び声を用いた声の極限への探求は、女性の声に対する抑圧や期待に異議を唱えるものでした。また、メレディス・モンクのようなアーティストは、声の多様な使い方や非言語的な発声を用いて、従来の音楽や発話の形式から逸脱する実践を行いました。これらの試みは、単なる聴覚的な表現に留まらず、身体と声、感情と公共性といった複雑な関係性を問い直し、ジェンダー規範を揺るがすものでした。
インスタレーションアートの領域では、ジャネット・カーディフとジョージ・ビュレス・ミラーの作品が、サウンドと空間、記憶を結びつける実践として注目されます。特にカーディフの「サウンドウォーク」シリーズは、録音された彼女自身の声や環境音を聴きながら特定の場所を歩く体験を通じて、主観的な聴覚の経験と公共空間のジェンダー化された性質を意識させます。これは、特定の場所が持つ歴史や記憶が、聴覚を通じてどのように呼び起こされ、個人の身体感覚や感情に影響を与えるかを深く探求するものです。
声の政治学:サイレンスと可聴化の実践
フェミニストアートにおけるサウンド実践の核心の一つは、「声」を巡る政治学です。歴史的に、女性やマイノリティの声はしばしば抑圧され、公共空間から排除されてきました。フェミニストアートは、この「サイレンス」(沈黙させられること)に抵抗し、声の可聴化、あるいは不可聴性の構造を暴露する試みを行ってきました。
証言、語り、インタビュー、あるいは歌唱といった形式は、個人的な経験や集合的な記憶を声に乗せて発信する手段となります。例えば、クリスティーン・サン・キムは、聴覚障害を持つ自身の経験に基づき、音の視覚化や手話、ボディランゲージとサウンドを結びつける作品を制作しています。彼女の作品は、聴覚中心主義的な世界のあり方を問い直し、異なる「聴き方」やコミュニケーションの方法を提示することで、規範的な知覚システムとそれに伴う排除の構造に挑戦します。
また、集団的な声の実践も重要です。コーラスや集会での歌唱、デモでのスローガンといった形式は、個々の声を集合的な力に変え、公共空間に響かせることで、政治的な主張や連帯を可視化(この場合は可聴化)します。これらの実践は、抑圧された声の復権だけでなく、声を発すること自体の行為に力を与え、主体の確立を促します。
現代の実践とテクノロジー、そして今後の展望
現代のフェミニストサウンド実践は、テクノロジーの発展とも密接に関わっています。エレクトロニックミュージックの分野では、男性中心的な機材や技術へのアクセス、あるいはジャンル内のジェンダーバイアスに対する批評的な実践が見られます。女性やノンバイナリーのアーティストによるノイズミュージックや実験音楽は、音響的な暴力や不協和音を用いることで、社会的な不均衡や抑圧を表現し、聴く者に不快感や問いを投げかける試みを行っています。
インターネットやソーシャルメディアの普及は、声を発信する新たなプラットフォームを提供しました。ポッドキャスト、サウンドクラウド、YouTubeなどを通じて、多様な背景を持つ人々が自身の声で語り、音楽を共有し、聴覚的なコミュニティを形成しています。これらのデジタルプラットフォームを用いた実践は、既存のメディア構造におけるジェンダーバイアスを回避し、より直接的で分散的な声のネットワークを構築する可能性を秘めています。しかし同時に、デジタル空間におけるハラスメントや検閲といった新たな問題も生じており、これらに対する批評的な視点も不可欠です。
フェミニストアートにおけるサウンド実践は、単に「音」を扱うだけでなく、それが生まれる身体、それが響く空間、そしてそれを聴く耳や社会的な文脈を包括的に問い直すものです。聴覚領域におけるジェンダー規範への挑戦は、私たちが世界をどのように知覚し、他者とどのように関わるかという根源的な問いにつながります。今後も、テクノロジーの進化、社会情勢の変化に伴い、新たなサウンド実践が生み出され、聴覚空間におけるジェンダーの政治学はさらに多様な形で展開されていくことでしょう。未開拓の聴覚領域、例えば沈黙や不在の音、あるいは特定の文化や環境における特有の音環境におけるジェンダーの考察は、今後の研究課題となり得ます。
結論
フェミニストアートにおけるサウンド実践は、視覚中心のアート史において見過ごされがちであった聴覚領域に光を当て、そこで働くジェンダー規範を明らかにし、それに積極的に挑戦してきました。声の政治学、サウンド・スケープの批判、そして多様なメディアを用いた実践を通じて、フェミニストアーティストたちは、聴くこと、話すこと、沈黙すること、そして音が響く空間そのものが持つ社会的な意味を問い直し、意識変革や社会変革への糸口を提供しています。これらの実践は、専門家である読者の皆様にとって、アートを通じた社会分析や新たな研究の視点を提供するものであると考えます。