フェミニストアートの力

フェミニストアートにおけるケアの倫理:脆弱性と相互扶助の可視化、そして制度的変革への問い

Tags: フェミニストアート, ケアの倫理, 社会変革, 脆弱性, 相互扶助, 制度批判, 現代アート, ジェンダー研究

フェミニストアートは長らく、社会の不均衡や権力構造に挑戦し、不可視化されてきた経験や労働を可視化する重要な役割を担ってきました。その中でも、「ケア」という概念は、フェミニスト思想およびアート実践において中心的なテーマの一つであり続けています。しかし、単なる「ケア労働の可視化」を超え、ケアを倫理的、政治的、そして存在論的な問いとして深く掘り下げるアートの実践は、現代社会における脆弱性、相互依存、そして制度のあり方に対する根本的な問いを投げかけています。本稿では、フェミニストアートにおけるケアの倫理に焦点を当て、それがどのように社会変革を促す力となりうるのかを、具体的な事例と理論的考察を通じて探ります。

ケアの倫理とフェミニストアートの接点

ケアの倫理は、伝統的な正義の倫理が普遍的な原理や権利、義務に焦点を当てるのに対し、具体的な関係性、共感、応答性、そして責任に重きを置く倫理的アプローチです。キャロル・ギリガンらの初期の議論から、ジョーン・トリントによるケアのプロセス(attention, responsibility, competence, responsiveness)の分析、あるいはマリア・プイグ・デ・ラ・ベルカサによるケアの倫理を人間中心主義を超えた存在論的・政治的問いとして捉える視点まで、その理論的射程は広がりを見せています。

家父長制社会において、ケアはしばしば女性の「自然な」役割として見なされ、経済的価値を伴わない感情労働や無償労働として不可視化されてきました。フェミニストアートは、この不可視化されたケア労働の実態を暴露し、その社会的重要性を訴えることから始まりました。例えば、マーサ・ロスラーの1975年のパフォーマンス・映像作品シリーズ「美の家事システム(Semiotics of the Kitchen)」は、家事という反復的で定義しがたい労働を、アルファベットに対応させた滑稽かつ暴力的な身体ジェスチャーで表現し、日常的なケア労働に潜むフラストレーションや抑圧を鋭く示しました。

しかし、フェミニストアートにおけるケアへの関心は、単なる労働の可視化に留まりません。それは、ケアする主体とケアされる主体との間の複雑な関係性、脆弱性の共有、そして相互依存といった、人間の根源的な状態に対する探求へと深化していきました。私たちは皆、生において何らかの形でケアを必要とし、また誰かをケアする存在です。この脆弱性と相互依存を芸術的に表現し、共有することは、自己完結的な個人を理想とする近代的な主体像や、競争を原理とする社会構造に対するオルタナティブな視点を提供します。

脆弱性と相互扶助を可視化する実践

脆弱性はしばしばネガティブなものとして捉えられがちですが、フェミニストアートはこれを人間の普遍的な条件として肯定的に捉え直し、連帯や相互扶助の基盤として提示することがあります。例えば、身体的あるいは精神的な脆弱性、病、老い、障害などをテーマにした作品は、完璧さや自立を求める社会のプレッシャーに対して、ケアを通じた共生の関係性の重要性を訴えかけます。

特定のアーティストやプロジェクトは、まさにこの相互扶助のネットワークを芸術実践そのものとして構築しています。コミュニティベースのアートプロジェクトやソーシャリー・エンゲイジド・アートの中には、参加者間のケアの関係性を育むことを目的としたものが見られます。共に食事をする、互いの話を聞く、共に何かを制作するといった行為そのものが芸術となり、一時的であれ、既存の競争原理とは異なるケアに基づいたミニ社会を創出します。これは、アートが単なる表象に留まらず、現実の社会関係性を変化させる実践となりうることを示しています。

また、パンデミックのようなグローバルな危機は、ケアシステムの脆弱性、医療従事者やケアワーカーへの過剰な負担、そして社会におけるケアの不平等を浮き彫りにしました。これに対し、多くのフェミニストアーティストは、ケア労働者への連帯を示したり、孤立する人々を結びつけるオンラインプロジェクトを行ったり、あるいは自身の経験を通じてケアの困難さや重要性を表現したりと、緊急性の高い応答を試みています。これらの実践は、危機時におけるケアの倫理と実践がいかに重要であるかを、改めて社会に問い直す契機となりました。

制度的変革への問い

フェミニストアートにおけるケアの倫理への探求は、個人の関係性やコミュニティのあり方に留まらず、より広範な社会制度への批判へと繋がります。医療、福祉、教育、司法といった公共サービスは、本質的にケアを基盤とするべきものですが、しばしば効率性や経済的合理性が優先され、ケアの質やケア提供者の労働環境が犠牲になっています。

ケアの倫理を重視するアート実践は、既存の制度がいかにケアのニーズに応えられていないかを批判し、よりケアを重視する制度設計の必要性を訴えます。これは、単に批判に終わらず、オルタナティブな制度や空間を構想する投機的なプロジェクトや、NPO、市民団体、あるいは行政と連携しながら現実の制度改善を目指すコラボレーションへと発展することもあります。美術館やギャラリーといった芸術制度そのものも、ケアの倫理から問い直しの対象となります。展示や収蔵の方針、労働環境、観客との関係性などにおいて、より包摂的でケアに基づいたあり方を模索する動きは、現代の芸術実践において重要な潮流の一つとなっています。

さらに、ケアの倫理は人間関係に限定されません。環境倫理やエコフェミニズムの視点からは、地球や他の生命種へのケアの必要性が強調されます。人間の経済活動が環境に与える負荷や、そこから生じる不均衡に対して、地球全体をケアの対象として捉え直し、持続可能な共生関係を築くことを促すアートも生まれています。これは、ケアの射程を生命システム全体へと拡張する試みであり、現代の生態系危機に対する芸術からの重要な応答と言えるでしょう。

結論:ケアの倫理が促す社会変革

フェミニストアートにおけるケアの倫理への探求は、単なる美術史の一ジャンルにおけるテーマ的傾向に留まらず、現代社会が直面する様々な課題に対する倫理的、政治的な応答として深く位置づけられます。脆弱性の肯定、相互扶助のネットワーク構築、既存制度への批判、そしてケアの対象を人間存在を超えて拡張する試みは、自己責任論や競争原理が支配的な社会に対して、関係性、共感、連帯を基盤とした、より公正で持続可能な社会への道を指し示しています。

美術館キュレーター、美術研究者、社会学者、ジェンダー研究者といった専門家にとって、フェミニストアートにおけるケアの倫理の実践を分析することは、アートがどのように複雑な社会問題を扱い、議論を喚起し、そして潜在的な変革の力となりうるかを理解する上で、極めて有益な視点を提供します。これらの実践は、私たちがどのように共に生き、互いをケアし、そして地球という共通の惑星をケアしていくべきかという、根源的な問いを私たち一人ひとりに、そして社会全体に投げかけ続けているのです。今後の研究においては、グローバルな文脈におけるケアの多様な実践、テクノロジーがケアの関係性に与える影響、そしてケアをめぐるアート実践が具体的な政策や制度に与えうる影響など、さらなる探求が求められる領域が多く存在しています。フェミニストアートは、ケアの倫理というレンズを通して、社会変革への希望と批判的な視点を同時に提供し続けるでしょう。